ブリックハウスイベント情報

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商売は大変

夫と会社を立ち上げた私ですが、商売の経験は全くありません。

しかも、夫は中国人で言葉の問題もありますし、当時は中国人より日本人の女の方がマシという風潮でしたので、どうしても私が代表で矢面に立たなければならなかったのです。

 

当時、原宿の駅前にあったテント村を見つけてきて、ここで店をするんだと言いだした夫。

私も凄い家賃だとは思ったものの、家賃だけで始められるとのことで家賃を出し、中国雑貨を売りたいとの事で横浜中華街に仕入れに行き、商売の厳しさに直面しました。

商品は全く売れず、家賃にもならない有様でした。

しかも、素人と見られて仕入れの数や金額をごまかされて、苦情を言っても相手にされず、踏んだり蹴ったりでした。

 

そんな時、ジュリアナブームが始まったのです!

ジュリ扇と呼ばれる羽扇子は、最初数が無く、とても高く売っていたのです。

「笑っていいとも」でジュリ扇を見ていた私は、それを売ろうと中華街に仕入れに行ったのですが、売れ始めていたため卸値も高く夫は反対でした。

 

でも、今なら売れると思い仕入れたら、原宿という場所も良かったため絶好調でした。

そこで、夫は香港まで扇子工場を探しに行き直接仕入れることが出来たのです。

何の伝手も無い中、良くやったと思います。

当時、大中でも扱っていたのですが、品質が悪く羽が飛び散って大変だったのです。

余り羽の飛び散らないフワフワのものにしたのも良かったんだと思います。

 

輸入品の良い所は、原価が安く儲けが大きいことです。

羽扇子もそうでした。

自社で仕入れてからは、普通の値段にしましたが、凄く儲かりました!!

色も沢山あったので、各色揃えるとまとまった数になり、まとめ買いが多かったのも売り上げが伸びた要因かと思います。

扇子だけでなく羽ショールも扱い、羽製品を色々展開しました。

 

そして、チャイナドレスも着たい!安いのが欲しいという要望を受けることになりました。

当時、中華街ではレーヨンのチャイナドレスを高い金額で販売していたのです。

最初は、中華街から仕入れていたのですが、これも中国の工場で作ってもらうことにが出来たのです。

 

中国訪問は、私も何回か行きましたが、なかなか大変です。

距離も長いし、交通も発達しておらず、普通の日本人が行かない所まで行って工場を見つけるのは、至難の業です。

それを成し遂げ、自社で生地から指定してサイズもデザインも自由に作る事が出来るようにしました。

それを持って、私が中華街の店舗を飛び込みで営業し、小ロットでこまめに注文できることから卸売りも始めることが出来たのです。

ここから、横浜中華街は仕入れ先から卸売先になったのです。

 

続く

| ブリックハウス管理者 | - | 18:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









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